「死の描写」の違い

※1、セカンドの若干のネタバレを含みます

・人の「死」の無い1と2、「死」を描くサーガ
カルドセプトはセカンドまでは作中では人が死なない物語だった。

例えば1のストーリーモードでは、登場時は不気味で恐ろしい様に見える人物も
対戦後は結構打ち解けて仲良くなっていたりする。
これはもしかすると、実際の対人戦もその様なもので有って欲しいという
製作者の意向なのかも知れない。

ちなみに完全に肉体が滅んでしまったバルテアスは、
人でなく神で、あくまで人外の存在なので問題無いということで。
・・・だ、ダメっすか?(w

セカンドでも、バルベリトが気が触れた?様な描写が有ったのと、
ゲモリーがバルベリトに消滅させられた様にも見える表現はあったものの、
作中ではっきりと人が死んだと確認出来る様な場面は無い。

これらは単に死が描かれないという意味ではなく、
セプター同士の戦いでは命までは奪う事がない、
もしくは命を落とすまでには至らないという事ではないだろうか。

ここにはやはり、対戦は真剣で熱いものであっても
楽しい物で有って欲しいという製作者の意図が有る様に思える。

対して「カルドセプトサーガ」にはこれまでのシリーズ作と違って、
良くも悪くも人が死ぬ描写が幾つか有る。
中でも、セプター同士の戦いで命を落とす表現が
度々出てくるのが前二作とは対照的だ。

確かに物語としての面白さに死の表現は特定のエッセンスを加えるものだし、
シナリオ重視ならそれも良い様に思える。

だが、カルドセプトというゲームが多人数での
対人戦を前提として作られている物である事を考えると、
前二作の様に「カードを使った戦いでは人が死なない」
という不文律もまた正しい様に思える。

特にどちらが良いとか悪いとかそういう事では無いだろうれど、
ストーリーをゲームの製作側が作る場合と、シナリオライター側が作る違いが
明確に現れている例だと考えるとなかなか面白いかも知れない。



・・・次回はどうなるか内容は未定です。
そろそろカードバランスの話に踏み込む事になるのでしょうか。

テーマ : Xbox360 - ジャンル : ゲーム

コメント

レイズデット

死の描写につては言われてみるまで気にしてませんでした。
ストーリー上の死について無理やり考えると
もしかしたらセカンドはレイズデットがあったので、ストーリー上死んでもいつでも復活できるからあえて死の描写が意味が無いのかも・・
サーガではネクロマンサーで復活できるものの、最後に死んだ人しか復活できなくて、直前に倒したサフィウスが復活する(笑
主人公はファウスティナを復活させるためにはリセットするしかなかった・・
という邪推をしています。

ドクターモーロク

実はレイズデッドが無くなったのが原因って・・・。ちょっと面白い発想ですね。

そういえば、あまり関係ないのですが、レイズデッドって
普通に人(セプター)にも使えるんでしょうか。
何となく私的にはかりそめの命みたいなイメージが勝手に有って、
カードにしか使えないとか、一時的なものみたいな感があります。
創造と破壊の書でも、人の生き死にまでは簡単に左右出来ないのではないか、と。

そんな事を言っても、最近ではタイムタイドなんてスペルも有るので
もはや何でもアリな気もしますけどね(笑)

それにしてもネクロマンサーは存在しないはずの命まで
復活させてしまうのは凄いですよね。
ちょっと認知症になりかけの天才といった所でしょうか。

「えーっと、その前に死んだのは何じゃったかのー。
もう忘れたから勝手にワシが錬金術で作ってやるわい!」みたいな。
・・・なぜか老後のモロックの姿が浮かんできました。
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