セプターの忘れ物
セプターの本当の強さとは、一体どんなものなのか。
そして最強のセプターとは。
戦術面、特にプレイングでのそれはもう十分に書いたのでよしとして、
素質や才能、持って生まれた性分としての強さとは。
絵空事に近いそれは、実は簡単に定義出来るものだ。
最強のセプターとは。
セプターである事、カードを手繰る事そのものを楽しみ、
それに最も強い思い入れを持てるセプターだ。
何故なら、そのセプターは最後までセプターである事をやめないからだ。
最後までセプターであること。
これは、簡単な事のようで実は最も難しい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
セプターは対戦を繰り返せば繰り返すほどに、
最初に味わった感動を忘れていく。
数百、数千回の対戦を経ていくうちに、
特別な体験も、ごく当たり前の事になっていく。
数千回の対戦を経ても前の記事の様な境地に至れば、
対人戦はカードを通して全てを感じ取れる様な自在感さえ
感じるものに変わり、その感覚の素晴らしさを知った者は、
飽くことなくセプターであり続けるだろう。
しかし、多くのセプターはそんな境地に至ることは無い。
対戦を繰り返す毎にカルドセプトで最初に遊んだ時の様な
新鮮な気持ちは風化し、クリーチャーの召還一つにしても、
ドラゴンであれ、ゴブリンであれ、単にゲーム上の駒、記号になっていく。
そして元々持っていた思い入れや愛着を少しづつ失っていくのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
既に去っていったセプター達が居る。
勝てるブックの形を追求して一つの形に行き着いて飽きた者、
自分のスタイルを確立して満足した者。
彼らの多くは最初に感じた感動や愛着をどこかに置き忘れ、
自分から新鮮な感動を与えてくれる様な
新たなコンセプトなりブックなりを作る事を
しなかった者だと言える。
また、いかに自分から新鮮な感動を作り出し、
周囲を驚かせる様な戦い方をしていても。
愛着や思い入れが無ければ、新しい試みを諦め、
本当はまだ残されているであろう可能性を見つけられず、
セプターは自らセプターである事をやめてしまうだろう。
これは経験の浅いセプターにはまだ未体験の事だろうし、
旧作を遊び尽くし、もうやれる事が無いと感じた事がある
一部のセプターには既知の体験かも知れない。
しかし、余程の思い入れと愛着が無い限り、
誰にもいつかその決断を迫られる時が来る。
思い入れは、歌で言う所の歌詞の様なものだ。
歌詞の意味を知る事で、その歌の情景や物語に
より深い魅力を感じる事が出来る。
ゲームでも同様にストーリーや世界観が有り、
それを感じる事でそのゲームにより深い魅力と
味わいを感じる事が出来る。
サーガだけを渡されて、それを感じろというと
少々無理もあるのだけど。
いずれにせよ、世界観やストーリーに浸ることで、
攻略面だけでは維持出来ないモチベーションを保つ事が出来ると思う。
戦術や攻略にしか興味の無い方も、そういった意味で、
慣れ親しんだゲームの世界観に浸り、
ぜひ新たな楽しみを見出して欲しい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このブログは、セプターがセプターであることをやめる時に
カルドセプトの世界でまだ見ていないもの、
また、忘れた何かを取り戻す手助けをする為のサイトです。
「世界観の考察」は、対戦を重ねたセプターに
カルドセプトの原体験を思い出す為のきっかけを。
「対戦形式の提案」は、通常戦を戦い尽くしたと
考える人にも楽しめる、全く違った環境下での対戦方式を。
今後の展望やバランス、システムなどの考察は
次回作へ向かう気持ちを呼び起こす事を目的に。
苦言の類は、次回作を作る時の参考にして欲しいという思いから。
いずれにせよ、いつかあなたが一時的にでも
セプターである事をやめようと思った時、
このブログの事を思い出して下さい。
もしかしたらセプターである貴方にとっての忘れ物や、
これまでに見つからなかった何かが見つかるかも知れません。
・・・このブログは、最後までセプターで居続けようとする
セプター達の為に在ります。
そして最強のセプターとは。
戦術面、特にプレイングでのそれはもう十分に書いたのでよしとして、
素質や才能、持って生まれた性分としての強さとは。
絵空事に近いそれは、実は簡単に定義出来るものだ。
最強のセプターとは。
セプターである事、カードを手繰る事そのものを楽しみ、
それに最も強い思い入れを持てるセプターだ。
何故なら、そのセプターは最後までセプターである事をやめないからだ。
最後までセプターであること。
これは、簡単な事のようで実は最も難しい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
セプターは対戦を繰り返せば繰り返すほどに、
最初に味わった感動を忘れていく。
数百、数千回の対戦を経ていくうちに、
特別な体験も、ごく当たり前の事になっていく。
数千回の対戦を経ても前の記事の様な境地に至れば、
対人戦はカードを通して全てを感じ取れる様な自在感さえ
感じるものに変わり、その感覚の素晴らしさを知った者は、
飽くことなくセプターであり続けるだろう。
しかし、多くのセプターはそんな境地に至ることは無い。
対戦を繰り返す毎にカルドセプトで最初に遊んだ時の様な
新鮮な気持ちは風化し、クリーチャーの召還一つにしても、
ドラゴンであれ、ゴブリンであれ、単にゲーム上の駒、記号になっていく。
そして元々持っていた思い入れや愛着を少しづつ失っていくのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
既に去っていったセプター達が居る。
勝てるブックの形を追求して一つの形に行き着いて飽きた者、
自分のスタイルを確立して満足した者。
彼らの多くは最初に感じた感動や愛着をどこかに置き忘れ、
自分から新鮮な感動を与えてくれる様な
新たなコンセプトなりブックなりを作る事を
しなかった者だと言える。
また、いかに自分から新鮮な感動を作り出し、
周囲を驚かせる様な戦い方をしていても。
愛着や思い入れが無ければ、新しい試みを諦め、
本当はまだ残されているであろう可能性を見つけられず、
セプターは自らセプターである事をやめてしまうだろう。
これは経験の浅いセプターにはまだ未体験の事だろうし、
旧作を遊び尽くし、もうやれる事が無いと感じた事がある
一部のセプターには既知の体験かも知れない。
しかし、余程の思い入れと愛着が無い限り、
誰にもいつかその決断を迫られる時が来る。
思い入れは、歌で言う所の歌詞の様なものだ。
歌詞の意味を知る事で、その歌の情景や物語に
より深い魅力を感じる事が出来る。
ゲームでも同様にストーリーや世界観が有り、
それを感じる事でそのゲームにより深い魅力と
味わいを感じる事が出来る。
サーガだけを渡されて、それを感じろというと
少々無理もあるのだけど。
いずれにせよ、世界観やストーリーに浸ることで、
攻略面だけでは維持出来ないモチベーションを保つ事が出来ると思う。
戦術や攻略にしか興味の無い方も、そういった意味で、
慣れ親しんだゲームの世界観に浸り、
ぜひ新たな楽しみを見出して欲しい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
このブログは、セプターがセプターであることをやめる時に
カルドセプトの世界でまだ見ていないもの、
また、忘れた何かを取り戻す手助けをする為のサイトです。
「世界観の考察」は、対戦を重ねたセプターに
カルドセプトの原体験を思い出す為のきっかけを。
「対戦形式の提案」は、通常戦を戦い尽くしたと
考える人にも楽しめる、全く違った環境下での対戦方式を。
今後の展望やバランス、システムなどの考察は
次回作へ向かう気持ちを呼び起こす事を目的に。
苦言の類は、次回作を作る時の参考にして欲しいという思いから。
いずれにせよ、いつかあなたが一時的にでも
セプターである事をやめようと思った時、
このブログの事を思い出して下さい。
もしかしたらセプターである貴方にとっての忘れ物や、
これまでに見つからなかった何かが見つかるかも知れません。
・・・このブログは、最後までセプターで居続けようとする
セプター達の為に在ります。
コメント
「強い人」は「楽しむ人」
深くて見飽きない何か
>カヲルさん
良く実際に対戦後の感想戦でも「流れ」とか「呼吸」とかといった言葉を耳にします。
例えば「あれで流れが変わったよね」とか、
「あの間の取り方は何か有ると思った」とか。
これらを論理的に説明しろと言われても残念ながら出来ないですが、
確かに心理的、物理的にかかわらず、何かの間合いじみたものが有りますね。
カルドでも実際、上手い人は普通にそれをはかって来る感じがしますし、
それが見える事そのものが楽しそうに見えます。
>人対人の「間合い」には、“豊かさ”が詰まっていると思います。きっと「見尽くす」なんて誰にもできないほどに。
それが見える段階にまで行ければ、どの分野でも、多分ずっと楽しんでいられるのでしょうね。
私もカルドを好きで居られて、楽しめて、ずっと続けているうちにその段階に至れると良いなと思います。
良く実際に対戦後の感想戦でも「流れ」とか「呼吸」とかといった言葉を耳にします。
例えば「あれで流れが変わったよね」とか、
「あの間の取り方は何か有ると思った」とか。
これらを論理的に説明しろと言われても残念ながら出来ないですが、
確かに心理的、物理的にかかわらず、何かの間合いじみたものが有りますね。
カルドでも実際、上手い人は普通にそれをはかって来る感じがしますし、
それが見える事そのものが楽しそうに見えます。
>人対人の「間合い」には、“豊かさ”が詰まっていると思います。きっと「見尽くす」なんて誰にもできないほどに。
それが見える段階にまで行ければ、どの分野でも、多分ずっと楽しんでいられるのでしょうね。
私もカルドを好きで居られて、楽しめて、ずっと続けているうちにその段階に至れると良いなと思います。
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思います。
日本語の「間合い」という言葉、これは物理的な距離のみならず心理的距離をも含み、かつ
その場その場の状況によって伸びたり縮んだりするものだと私は理解しております。
私自身は対人戦の経験に乏しいセプターではありますが、以前にプロ野球のゲームをスタジアムで
観戦する機会をたびたび持ち、その経験から上記のことを深く学びました。
本当に強い野球選手はいつでも、千変万化する「間合い」をしっかりと把握し、自分から操りもし、
それでいて時にはその「間合い」が思いもかけぬ方向への変化をするものだ――ということを、
恐れるどころか、むしろ心から楽しんでいたように見受けられたものです。
宇宙一レポートなどのカルド対戦記を拝読しますと、カルドセプトの優れた対戦の内にも、私には
こうした「間合い」への感性が脈々と息づいているように思われてなりません。
人対人の「間合い」には、“豊かさ”が詰まっていると思います。きっと「見尽くす」なんて誰にもできないほどに。