オン対戦の邪道な楽しみ方

少しゴテゴテと長くて堅苦しい文章ばかり続いたので、
今回は軽めでいこうかな、と。
そんな訳で、今回はオン対戦の邪道な楽しみ方について
書いていこうと思います。


・アバターパーツの怪しい楽しみ方
アバターパーツは、種類はそんなに多くないですが、
対戦以外で自分の個性をアピール出来る貴重な手段です。

自分的にしっくり来るものだとか、格好良い組み合わせも勿論良いですが、
ここはせっかく用意されたシステムを逆手に取って遊んでみましょう。
あえて格好悪い組み合わせを追求してネタに走るとか。

格好悪い組み合わせの一例

武者兜
ピエロの衣装
黒猫の尻尾
バトルアックス
バトルアックス

何がしたいのか良く解らない取り合わせ。
一回装着して格好悪さを確かめてみて下さい。
両手に斧を持ち、ピエロの衣装なのに戦国武将の兜。
どう見ても不審者です。本当にありがとうござい(ry


まぁ格好悪さを追及するなら、ダウンロードで貰える
キャラメルコーンのかぶり物がメジャーなのですが、
顔は隠さずにファッションだけで格好悪くするのも
また粋なのではないでしょうか。どこが粋なのかはともかくとして。


・モットーで遊ぼう
XBOX360では、アバターも勿論ですが、
モットーこそ一番のアピールポイントです。
ここでどこまで相手を笑わせられるかが勝負の決め手かも?


「防御に自信アリ」とか書いてる人と対戦したら、
イントルード四枚積みでした。一枚も防具が見えません。
レベルも全く上げる気配無し。おまけに事有る毎に殴りかかってきます。
・・・攻撃は最大の防御って事でしょうか。


発売してから一ヶ月後位には、1や2を散々遊んでおきながら
「サーガ始めて一ヶ月の初心者です」
(サーガをやりだしてから一ヶ月の意、確かに嘘は言ってない)
とか書いていたセプターも居た様です。


最初からモットーの真上に「日本」と国名が書いてあるので、
「目本」とか「臼本」とか書いて目の錯覚を狙う馬鹿野郎も居ます。
「露西亜」とか「名古屋県」とかそういうのもアリです。(何が?)


モットーには、ネタ文の他にも自分のサイトの宣伝などを
載せている人も居ます。もしかすると、他にも
様々な使い方が出来るかも知れません。


・変な部屋を立ててみる
エンダネス島(※1)では部屋を立てる時に
名前をつける事が出来ました。

当時は怪しい名前をつけては、そのセンスに引かれて
集まってくる様な面白いセプター(テキストチャットで話してて面白い、
誰も想像つかない様な組み合わせのコンボを使ってくるetc・・・)
を捕まえては友達になったものですが、
今は残念ながら部屋に名前をつける事が出来ません。

そこで変な条件で毎回部屋を立て、
入ってくるセプターにVCで声をかけて仲良くなる様にすれば、
面白いセプターが釣れるかも知れません。

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ここに挙げたのは、カルドセプトサーガのオン対戦で出来る、
対戦以外での遊び方のほんの一例です。
オン対戦ではまだまだ他にも色々な遊び方、
楽しみ方が有ると思います。

時には対戦の手を休めて、そんな他の楽しみ方を追求してみるのも
面白いかも知れませんよ。



※1 DC版「カルドセプトセカンド」のオンライン対戦の場であり、
多くのセプターにとっての思い出の地。

ソルタリア中のセプター達が集まる闘技場の有る島をイメージして作られている。
勇気の塔、知識の塔など四つの塔から成り、
それぞれに好きな名前のフロア(部屋)を立てる事が出来た。

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サーガのストーリーモードが不評な理由(3)

過去二回に渡って、サーガのストーリーモードに
魅力が無い理由として、シナリオを生かしきれていないこと、
キャラクターの台詞のセンスの無さなどを述べてきたが・・・。
今回はその最も根幹の部分について触れていく。



カルドセプトサーガのストーリーモードが前二作に比べて
つまらなく思えるその最大の理由とは。殆どの変更点が、
プレイヤーの想像力を著しく削いでしまっている事がその原因である。

例えば画廊が無くなった事がその一つとして挙げられる。
画廊は、ストーリーや対戦中には出て来ない様々な
想像力をかきたててくれる大事なものだった。

例えばカードの発掘現場であるとか、
錬金術によって作られた異形の生物であるサーベルクローの脱走シーン、
グールに襲われるセプターなど、作中にはない様々なシーンを描き、
カルドセプトの世界の広がりを想像させてくれた。
しかし、1や2を遊んでいる方にはご存知のこの画廊はサーガには無い。

また他に重要なものとして、マップ上のキャラクターが
2Dのデフォルメキャラから3Dに変更されてしまった事も
プレイヤーの想像力を削ぐ大きな要素だった様に思う。
カードの絵が3Dでリアルに描かれる事によって、
逆に想像力の働く余地が奪われてしまったと言えないだろうか。

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ビデオゲームにとって重要な要素の一つとして、
「想像力による脳内イメージの補完」がある。

例えば、レトロゲーム世代の方は経験が有ると思うが、
見た目が簡素でも、とても苦戦を強いられた強力なボス敵などは
今の綺麗なグラフィックで写実的に描かれた敵より
どういう訳か遥かに格好良く見えたりする事が有る。

これは想像力が生み出したイメージが
脳内でいかに大きな物であるかという事を実感出来る例だ。

カルドセプトは現在の写実的な表現が多いビデオゲーム業界においては珍しく、
簡素な視覚情報からプレイヤーが想像力を働かせる部分が大きいゲームだ。
ある意味でレトロゲームに近い存在とも言える。

たとえば戦闘を例にとって。攻撃側、守備側のカードの絵があり、
攻撃側ののカードがしているらしき攻撃パターンのエフェクトは有るが、
絵の中のクリーチャーが実際に動き出す訳では無い。

だが…皆さんが初めてカルドセプトで遊んだ時の事を思い出して欲しい。
恐らく、戦闘の時にカードに描かれたクリーチャーが、
守備側のクリーチャーに攻撃をする姿を思い浮かべていた人も少なくないだろう。

戦闘でカード絵が攻撃等のエフェクトをしているだけに留まっているのは、
単にそれらを一つ一つ作る手間を省く意味だけでなく、
プレイヤーが想像力をかきたてるのに一役買っているとも言える。

筆者は2Dのディフォルメされたキャラクターや、画廊も
そうしたプレイヤーの想像力をかきたてる大事な存在だった様に思う。

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もう一つ、プレイヤーの想像力を削ぐ要素の一つとして、
主人公のキャラクターが有る程度固まってしまっている事を挙げたい。

旧作では最初から主人公の姿形や性別などは自分で決める事が出来、
声や台詞も全く無かった。対して、サーガでは性別や境遇など
主人公のキャラクターそのものは有る程度決まってしまっている。

この違いがどこにあるのかを、例としてRPGで有名な
ドラゴンクエストシリーズ(以下DQ)とファイナルファンタジーシリーズ
(以下FF)の場合で比較してみると・・・。

例えば、DQの場合は主人公の一枚絵こそあれ、主人公自身には全く台詞が無い。
これはプレイヤー自身が主人公となって疑似体験をするべく
取られている不文律の様なものだと言える。

それに対して、FFではシリーズが後になるにつれて
主人公が台詞を話しだす様になっていく。主人公のキャラクターも
明確になっていき、実際に声も出る様になった。
これは映画的、自分は外からなりゆきを見守る形になるだろうか。

このどちらが良いかどうかというと賛否両論になるのだが、
主人公のキャラクターが有る程度決まっている事が
プレイヤーの想像力を削いでいる事は間違いない。

個人的には、写実的なFFは美麗な映像やキャラ毎に的確な
音声の肉付けをする手法に合っていると思うし、
ストーリーの深みや想像力を重視するであろうDQは
主人公に「色」をつけない現状のスタイルが合っていると思う。

なんとなく筆者の考えでは、カルドセプトは
プレイヤーの想像力を重視するゲームだと思うし、であればこそ、
DQの様に主人公には「色」をつけないスタイルであった方が良いと思う。

写実的なものを目指すのではあれば、
戦闘もクリーチャーの3D画像が出てきて実際に殴ったり
呪文を唱えたりする位やるべきであって、現状は中途半端な様に思えるのだ。
かと言って、筆者自身はそんなカルドセプトはどうかとは思いますが。

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今回まででストーリーモードのどこがいけないのか、
何が不満の原因なのかという事についてはひとまず終わりです。
以後はストーリーモード以外のカードバランスなどの点についても言及し、
旧作との比較よりあるべき改善の方向を考察しようと思います。

と、しばらく重い内容が続いたので次はもう少し軽めで。

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セプターの忘れ物

セプターの本当の強さとは、一体どんなものなのか。
そして最強のセプターとは。
戦術面、特にプレイングでのそれはもう十分に書いたのでよしとして、
素質や才能、持って生まれた性分としての強さとは。
絵空事に近いそれは、実は簡単に定義出来るものだ。

最強のセプターとは。
セプターである事、カードを手繰る事そのものを楽しみ、
それに最も強い思い入れを持てるセプターだ。
何故なら、そのセプターは最後までセプターである事をやめないからだ。

最後までセプターであること。
これは、簡単な事のようで実は最も難しい。

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セプターは対戦を繰り返せば繰り返すほどに、
最初に味わった感動を忘れていく。
数百、数千回の対戦を経ていくうちに、
特別な体験も、ごく当たり前の事になっていく。

数千回の対戦を経ても前の記事の様な境地に至れば、
対人戦はカードを通して全てを感じ取れる様な自在感さえ
感じるものに変わり、その感覚の素晴らしさを知った者は、
飽くことなくセプターであり続けるだろう。

しかし、多くのセプターはそんな境地に至ることは無い。
対戦を繰り返す毎にカルドセプトで最初に遊んだ時の様な
新鮮な気持ちは風化し、クリーチャーの召還一つにしても、
ドラゴンであれ、ゴブリンであれ、単にゲーム上の駒、記号になっていく。
そして元々持っていた思い入れや愛着を少しづつ失っていくのだ。

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既に去っていったセプター達が居る。
勝てるブックの形を追求して一つの形に行き着いて飽きた者、
自分のスタイルを確立して満足した者。

彼らの多くは最初に感じた感動や愛着をどこかに置き忘れ、
自分から新鮮な感動を与えてくれる様な
新たなコンセプトなりブックなりを作る事を
しなかった者だと言える。

また、いかに自分から新鮮な感動を作り出し、
周囲を驚かせる様な戦い方をしていても。
愛着や思い入れが無ければ、新しい試みを諦め、
本当はまだ残されているであろう可能性を見つけられず、
セプターは自らセプターである事をやめてしまうだろう。

これは経験の浅いセプターにはまだ未体験の事だろうし、
旧作を遊び尽くし、もうやれる事が無いと感じた事がある
一部のセプターには既知の体験かも知れない。

しかし、余程の思い入れと愛着が無い限り、
誰にもいつかその決断を迫られる時が来る。

思い入れは、歌で言う所の歌詞の様なものだ。
歌詞の意味を知る事で、その歌の情景や物語に
より深い魅力を感じる事が出来る。

ゲームでも同様にストーリーや世界観が有り、
それを感じる事でそのゲームにより深い魅力と
味わいを感じる事が出来る。

サーガだけを渡されて、それを感じろというと
少々無理もあるのだけど。

いずれにせよ、世界観やストーリーに浸ることで、
攻略面だけでは維持出来ないモチベーションを保つ事が出来ると思う。
戦術や攻略にしか興味の無い方も、そういった意味で、
慣れ親しんだゲームの世界観に浸り、
ぜひ新たな楽しみを見出して欲しい。

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このブログは、セプターがセプターであることをやめる時に
カルドセプトの世界でまだ見ていないもの、
また、忘れた何かを取り戻す手助けをする為のサイトです。


「世界観の考察」は、対戦を重ねたセプターに
カルドセプトの原体験を思い出す為のきっかけを。

「対戦形式の提案」は、通常戦を戦い尽くしたと
考える人にも楽しめる、全く違った環境下での対戦方式を。

今後の展望やバランス、システムなどの考察は
次回作へ向かう気持ちを呼び起こす事を目的に。

苦言の類は、次回作を作る時の参考にして欲しいという思いから。


いずれにせよ、いつかあなたが一時的にでも
セプターである事をやめようと思った時、
このブログの事を思い出して下さい。

もしかしたらセプターである貴方にとっての忘れ物や、
これまでに見つからなかった何かが見つかるかも知れません。

・・・このブログは、最後までセプターで居続けようとする
セプター達の為に在ります。

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セプターの強さとは

真に強いセプターとは、一体どんなセプターなのか。
もしくは、それに最も近いセプターとは。
戦術面でのそれは明らかに存在し、そして圧倒的なまでの力を持つ。

筆者はそんな、真に強いセプターの戦いを幾度となく見てきた。
そして、その強さの正体を知っている。

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こんな文章を書こうと思ったのは、
どこかで誰かがこんな事を書いていたのを見たのが発端だった。

「そもそもこのゲームに強い弱いなんて無いのにな
ある程度の知識があればあとは運でしかない 」と。

直後にこんな反論が有った。

「計算力記憶力は強さに直結するぞ
手札はもちろん、ディスカした内容と枚数は重要
土地計算も重要、土地転がしで勝てる状態なのに見過ごしてる人大杉」

更に、それに対してこんな意見が有った。

「何の不自由もなくゲームを進行させられる者同士の対戦になると、強い弱いというよりは、
当たり前のことをいかにミスなく当たり前にこなせるか、の勝負だな。
カルドは力比べの腕相撲ではなく、にらめっこ。
ただ笑わないというそれだけのことをいかに長く続けることが出来るか、っていうゲームだと思う。」

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・・・浅い。あまりにも浅い。

カルドセプトはそんなに浅いものではない。
「何の不自由なくゲームを進行出来る」だけのセプターなどには
何の実力も面白みも無い。増してコンセプトやブック、
プレイングで対戦相手に感動を与える事など出来はしない。

強いセプターはブック構築や、相手セプターやマップの
特性を知った上でのブック選択の読み合いなどで
対戦前から既に勝っている。

しかし、そういった面だけでなくプレイングの面でも
強さには明確な差が有り、実際に他を圧倒するセプターが居る。
彼らは「何の不自由無くゲームを進行出来る」程度のセプターが相手なら、
6割以上、人によっては8割以上の勝率を持ち、
その能力を見せ付けるのだ。

では、他を圧倒する程のプレイング面の強さとは一体何なのか。

確かに、先に有った記憶力、洞察力、計算力なども有る。
たとえば、自分のブック中にどれがあと何枚あるかとか、
相手が何枚どのカードを引いたからそれはもう
有っても一枚あるか無いかだ、などという様に推測したり、
レベルアップ時や、その時の護符の上がり方での
総魔力の正確な数値などが計算出来れば、
それが出来ないセプターとは歴然とした力の差を示せる。

しかし、このレベルのセプターなら幾らでも居る。
プレイングの高みにはまだその先が有るのだ。
真に強いセプターは、同じレベルに立っていない者から見れば、
まるでエスパーの様にも見えるセンスや直感力を持ち、
それを意識して、または無意識化で行えるのだ。

センスや直感といった言葉を使うと何やら胡散臭い様に感じるが、
筆者はこれらの正体を知っている。
膨大な対人戦の経験によって身につく無意識の力だ。


無数に有る定石の様なものやちょっとしたコツ。
特殊な環境への対処法などなど、確かにそれだけなら
知識だけでどうにかなる。ただ知っていれば良いのだから。

しかし、対戦の中で難しい選択を迫られる場合は全く別だ。
その選択の是非は結果論で終わる事も少なく無いが、
よくよく考えてみると正着手らしきものが有る事も多い。

また、どちらとも言いがたいながら、ある行動を選ぶ方が
高い確率で良い結果になる様な選択肢も有る。
時には一見、悪手の様に見える選択が正しい事まである。

こうした選択を迫られる場面は随所に有る。
行動の選択肢が狭いと思われがちな序盤のうちでも、
気がつかないうちに戦局を大きく分ける選択肢を選び取っているのだ。

仮に侵略も特になく、淡々と全員が増資でスピードを
競うだけの対戦でもそれは同様である。
何事も無く終わった様に見えて、実は各セプターは
随所に難しい選択を強いられている。

そんな長考を要する様な難しい判断を数十秒でこなすのに、
知識だけで対応出来るかと言えばそんな訳は無い。
たった数十秒の間に考えられる事などごくわずかである。
しかし、先に述べた様な直感やセンスを持つセプターは
これを一瞬のうちに判断出来るのだ。

皆さんも自分より上手い人が、訳の解らない行動をしているのを
見かけた事が有るだろう。これは後になってその理由に
気がつく事も多いが、本当に凄いプレイングは
その二段階は上を行く。ある程度以上のレベルに居るものでなければ、
その存在を気がつく事すら出来ないのだ。

こうした直感やセンスは、特別なものでありながら、
手に入れるまでの経験値の差こそあれ、
膨大な経験を積めば誰もが身につける事が出来る。

数百回、数千回もの対人戦の中で、似た様な状況判断を
強いられる事がある。その行動の詳細は覚えていなくとも、
その行動を取った時に良くない事が起きたとか、
悪い結果になったといった、結果だけの部分を
人間の潜在能力は時に無意識化で覚えていて、
直感やセンスという形でそれをプレイングに生かせるのだ。

一部のセプターの、まるで予知でもしているかの様なプレイングは、
そんな膨大な対戦経験から養われているのだ。


あるセプターが取る行動は、もちろん、
その大半は意識して行っている行動だろう。
しかし、強いセプターは自分でもそれと
気がつかないうちに無意識でそうした行動をも取っている。

しかもデジタルな思考と、そうしたセンスや直感を天秤にかけて
より有効な選択を選んだり・・・。

ある選択がローリスクハイリターンで有ると思った場合は
その都度ごとに博打を打ち、戦闘ではアイテム使用の駆け引きを
巧みに打ってアイテムを相手に使わせつつ自分は温存する。
こんなセプターを相手に「何の不自由無くゲームを進行出来る」
程度のセプターが勝てる訳は無いのである。

もちろん、一手一手、全ての行動でそれが出来るセプターなど
現時点では居ないと思う。しかし、仮に20%程度でも
そういったプレイングが出来ていれば、
そのセプターの力はそれが出来ないセプターを圧倒出来るはずだ。
筆者はそれが出来るセプターを何人も知っている。

真に強いプレイングが出来るセプターの力の正体とは、
そうした神がかった判断力である。

中にはあまり多くない経験でそれを体現してしまう様な
天才肌のセプターも居る。だが、多くのセプターは
そういった境地にはなかなか辿り着けないだろう。
それどころか、殆どのセプターはその存在さえ気がつく事が無いまま、
セプターである事をやめてしまうのだ。

しかし、実力の有るセプターとの対人戦で際どい勝負を繰り返し、
数百回、数千回の対戦を経れば、いずれその境地に至る事が出来る。
少なくとも、そういったセンスの存在を垣間見る事は出来る。

筆者などは経験が多い割には、稀にそれが見える程度に
留まってしまっている程度のセプターだが、
これを読まれている方の多くは経験を重ねていけば
筆者などは到底及ばないレベルに到達出来ることだろう。
その時は、ぜひ筆者には見えない世界のプレイングを教えて欲しい。

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カルドセプトは、ミスをしなければ勝てるなどという
底の浅いものではない。

やはり能力や経験によって明確な「強さ」の違いは有り・・・
また、真に強いセプターが立っている場所は、
神がかったものの様に見えながらも、
実は多くの人にとって辿り着く事が出来ない場所ではないのだ。

しかしセプターの本当の強さとは、戦術面だけでは計り知れない。
では、最強のセプターとは一体何なのか。
・・・といった所で次回「セプターの忘れ物」に続く。

サーガで評価すべき点(1)

これから少しカルドセプトサーガのバグやフリーズ、
ストーリーモードの単調さ「以外の」批判すべき点を
色々と書き連ねていく事になるので、
その前にここでサーガの良い点、評価すべき所を
いくつか述べておくとしよう。

・・・それとも、良い面と悪い面を
サンドイッチ状に書いていった方が良いだろうか(苦笑

ともあれ、まずはカードの強さなどバランス面から見た
サーガの評価すべき点を列記していく。

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・完成されたドロー体系
まず、サーガで最も良く作られていると思われるのは
手札補充手段の豊富さとその素晴らしいバランス取りだ。
オン対戦などでサーガを良く遊んでいる方には
これに異論は無いと思う。

例えばドローが出来るスペルの類を挙げてみると・・・

手札の枚数を一度に二枚増やせるホープ、
毎回カードを引いていけるファインド、
種別を選択出来るプロフェシー、
一気にブックを回しながら復唱で引き打ちが出来る
リンカネーション。

手札を補充しつつ魔力も増えるギフトは唯一、
自分以外のセプターに使う事が出来る。
個人戦でも普通に使われるが、
同盟戦でも一定の効果を発揮するカードだ。

またフォーサイトには欲しいカードを選択して
ブックから掘ったり、これから自分が引くカードを
確認出来るという使い方もある。

もちろん、これは敵セプターにも見えてしまうという
デメリットも有るが、見せる事により
無言のプレッシャーを与える事が出来るカードも有るので、
そうした使い方も踏まえるとより面白い戦い方も出来る。


これらはどれもがオン対戦で良く見るカードだ。
どれにもメリットとデメリットが有り、
状況やブック次第で相性はあれど、
単純な性能で見て突出したものは無い。

どれが便利だとかどれが強いとかそういう単純な話にならず、
用途によって文字通り使い分けられている。
「カードを引く」というだけの同じ目的でありながら、
どれもブックのタイプや用途によって共存しているのだ。


最も賞賛すべきは、この絶妙なバランスが
調整の繰り返しで行き着いたものであること。

過去にリンカネーションが強力だった時代は
他のスペルは見向きもされなかったし、
リンカネーションの能力が落ちて非常に使いづらい時代でも
ファインドはそのコストパフォーマンス故に
あまり使われる事は無かった。

しかしサーガでは性能に調整が施され、
どちらも使えるスペルになったばかりか
他のスペルを殺さない程度の能力におさまった。
バランス調整という意味ではこれは完璧なレベルだと言える。

スペル以外の面で見ると、大きな役割を持つのが
トゥームストーン。これもブック次第で絶大な力を発揮する。
オン対戦でも良く見かけるカードだ。
このカード無しには成り立たない様なコンセプトブックも
決して少なくない。


こういった現状から考えて、サーガのドローサポートは
非常に上手く調整されたバランス取りの
最たる例と言えるのではないだろうか。
筆者はこれには無条件に拍手を送りたいと思う。

普段使いなれたブックでも、実は別のドロー手段を
使った方が良い場合も有る。
また、普段と違うスタイルのブックを使う時には、
ドロー手段もそれに合わせて変えた方が良い場合も多い。

上記のカードの中で「これは自分はあまり使わない」
というカードが有る人は是非、自分の慣れや先入観を取り払い、
ブックに合わせて他のドロー手段も試してみて欲しい。
恐らくスタイルの幅も大きく広がると思う。

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色々書くつもりが手札補充だけでやたらと熱く、
長くなってしまったので、
他の部分に関しては(2)に続くということで。

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ポケットを叩くと・・・?

今回はまた世界観のお話。

カルドラ宇宙では、カルドセプトの全てのカードを集めたものが覇者となる。
覇者となったセプターはカルドセプトを使って新たな世界を創り、
その新たな世界にはまたカルドセプトがちらばるという。
しかし、ゲーム中ではその後の世界の事は語られない。
覇者が去った後の世界はどうなってしまうのか。

ある世界で覇者が全てのカードを集めてしまったら。
全て集めるという事は、文字通り全てのカードを集める事で、
その世界からカードは失われてしまうのではないだろうか。
覇者が一度生まれた世界は、カルドセプトの無い世界、
カードの無い世界になってしまうのではないだろうか。

この発想に立つとカルドセプトは宇宙の中では常に一つで、
世界はバトンリレーの様にカルドセプトを受け渡しながら
一つづつ育まれているのではないかという事になる。

つい最近まで筆者はカルドラ宇宙をその様に考えていたのだが、
何人かのセプターの方に意見を伺ってみたら、
全く逆の答えが返ってきた。


覇者の生まれた世界のカードは失われる訳ではなく、
一つの世界から時を置いて何人もの覇者が生まれ、
その度に新たな世界が生まれているという考え方だ。

カルドセプトも、セプターも、カードを巡る闘いも、
覇者が生まれてその世界を去っても
あらゆる世界に在り続けるのではないか、と。

何となく先述の様に考えていた筆者は、
これを聞いて良い意味で大きな衝撃を受け・・・
改めて少し考えてみたいテーマだと思った。

今回はどちらの考え方が正しいとか、
どちらが良いとかそういう事ではなく、
単純にこの二つの発想について考察してみたい。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

前者と後者のどちらの考え方に立っても、
「覇者がカルドセプトの断片を全て集める」という事には
一定の解釈の必要が出てくる。

前者の発想では、覇者はカルドセプトの全てのカードを
その手にし、それと共に自らが創る新たな世界へと
去る事になると言える。

カルドセプトが覇者と共に去る事で
セプター同士の戦い、カードを巡る戦乱は無くなり、
世界からは神の力を超えた存在が消え、(※1)
その世界には調和と安定がもたらされるのだろうか。

そしてカードやカルドセプトの事は
少しづつその世界から忘れ去られていくのだろうか。

もしかすると私達のこの世界も、覇者たるセプターが
去った後の世界なのかも知れない、などという発想も面白い。

また、もしかすると再び何かの原因でカードは
カルドセプトが去った世界にも現われ、
覇者を生む戦いが起こるかも知れない。

私達のこの世界でも、何かのきっかけで再び、
覇者たるセプターを決める戦いが・・・。
などと考えるのは少々夢見がちだろうか。

一応、公式の設定としてカルドラ宇宙は我々の世界の
影の様な存在である、という表記がどこかにあったはずなので、
こういった発想は簡単に否定されてしまうのだが・・・。

我々の世界も単位が大きいだけで基本は
カルドラ宇宙と同じものなのではないかと考えれば、
セプターにとってはより面白い想像かも知れない。
そして再び覇者を決める戦いが・・・。

・・・当たり前だが、こういう考えをあまり
セプター以外の人に真顔では語らない事をオススメする(笑
増してこのブログの名前など出そうものなら・・・
まぁ宣伝になるので良いでしょう(ぉ


対して、後者の覇者が去ってもカルドセプトが残る世界観では、
一つの世界には同じ種類のカードが何枚も有り、
世界中にそれらが散らばっているようだ。

覇者はそのうちの種類の違うものだけを集めていけば、
全てを集めた事になるということだろうか。
それとも、神が覇者を認めた時にだけ全てのカードが一箇所に集まり、
目的を果たした後にカルドセプトは二つに増え、
その片方は新たな世界に、
もう片方は元の世界に再び散らばるのだろうか。

いずれにせよ、カルドセプトは世界そのものであり、
あらゆる時間、あらゆる場所に存在し、
そのものが増え続けているという発想はとても魅力的だ。
カルドセプトの永遠性、深遠さを想わせてくれる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

果たして、カルドセプトは唯一の存在であるのか、
それとも、全ての世界に永遠に在り続ける存在なのか。

普段は対戦がメインで世界観などにはあまり興味の無い方も、
対戦の合間にこうした事柄に想いを巡らしてみるのも
また面白いやもしれない。


※1 カルドセプトは、そのものが
それを生み出した絶対神であるカルドラの力や、
カルドラが定めた法則などをも超えた存在である。

これは歴代のホーリーワードシリーズの表記や、
シリーズ作の設定などで明らかになっている。

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