カードに秘められた力(1)
再び世界観のお話。
カルドセプトにはその世界の全てが書かれているという。
そこには過去の事から未来の事まで全てが書かれているらしい。
しかしカルドセプトがカードとなって散らばった姿は
たった数百枚のカードにすぎない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
地球上には生物で言えば数千万もの種類の生物が住んでいる。
地球とカルドラ宇宙の世界が全く同じだとは思えないが、
カルドラ宇宙の中の世界にも、亜人や怪物や幻獣のほかに馬や牛などの家畜、
鳥やその他の普通の動物たちも居るはずだ。
しかし、カード群の中にはミノタウロスは有っても牛は居ないし、
ケルピーやナイトメアが有っても馬は無い。
同様に海藻類は○○スポーン程度のものだし、
牛馬以外の家畜らしい生き物は(ホーリー)ラマ位だろうか。
またカルドセプトのカードは、戦いに必要なもの以外があまりにも少ないのも特徴だ。
例えば特定のクリーチャーだったり、盾や武器の様な道具であったり、
地震や嵐の様な力の顕現だったり・・・。
スタチューやシャラザードやブラストホーン、バード、
リビングミラーなど、本来は戦いと関係の無さそうなカードも勿論有るが、
大部分が剣や斧を持っていたり、何らかの形で戦いを
意識したものが多い様に思われる。
例えば生物、クリーチャーで有れば植物は極端に少ないし、
道具、すなわちアイテムであれば食器や子供の遊びに
用いる様なものなど、およそ戦いに使えそうも無い物はあまり無い。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いずれにしても。それらは世界の全てと言うにはあまりにも限定的で、
とてもその世界の全てを表している様には思えないのだ。
では、カルドセプトの断片で有るカードとは一体何なのか。
カードはどの様にして世界の全てを顕しているのだろうか。
もし、仮にカルドセプトのカードがタロットカードの様に、
それ自体が何かを象徴しているものだとしたら。
例えば、チャリオットがタロットカードの様に戦争や
戦いの象徴でも有るとしたら。
また例えば、一枚のカードがそのカードの絵柄そのものの物体だけでなく、
それに類するもの全ての象徴であったとしたらどうだろう。
テンペストが嵐だけでなく、災害そのものの象徴だとしたら。
ウッドフォークというカードがウッドフォークだけでなく、
木そのものの象徴だったとしたら。
そして、更には喜びや怒りなどといった特定の感情などをも
表しているとしたら。
一枚ごとに多くの意味合いや感情が込められたカード群は、
数百枚もあれば容易に、そして意思を持っているかのごとく
自然と世界を作り出すのではないだろうか。
また、覇者が逆にカードの幾つかの組み合わせで、
世界に有る別のものを作り出すのだとすればどうだろう。
例えば、トラップスパイダーと海洋生物のクリーチャーを組み合わせて
カニを作りだしたりとか。
カードの組み合わせが世界を創り出す、と。
何となく、筆者としてはこういう発想はセプターが覇者になるという設定や、
ゲームとしてのカルドセプトから考えると「らしさ」が有って良い気がする。
ある種のコンセプトブックはその人独自の世界が表現されている様にも
感じる事が出来るが、それもまた世界の創造に準じるものではないだろうか。
もしかすると、単にカルドセプトという書物の一つのページが
一枚のカードに具現化されているだけなのかも知れない。
本来は様々な事柄が表裏に記述されたものが、
世界中に散らばる事で一枚になるという訳だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
結局、真相の所はどうかは解らないが、カルドセプトという存在には、
そしてそのカードの一枚一枚には世界を創造出来るだけの力や
非常に多くの意味が込められているのではないだろうか。
次回は未定です。前回から今回まではしばらく間が空いたけど、
次は早めに更新する方向で。
カルドセプトにはその世界の全てが書かれているという。
そこには過去の事から未来の事まで全てが書かれているらしい。
しかしカルドセプトがカードとなって散らばった姿は
たった数百枚のカードにすぎない。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
地球上には生物で言えば数千万もの種類の生物が住んでいる。
地球とカルドラ宇宙の世界が全く同じだとは思えないが、
カルドラ宇宙の中の世界にも、亜人や怪物や幻獣のほかに馬や牛などの家畜、
鳥やその他の普通の動物たちも居るはずだ。
しかし、カード群の中にはミノタウロスは有っても牛は居ないし、
ケルピーやナイトメアが有っても馬は無い。
同様に海藻類は○○スポーン程度のものだし、
牛馬以外の家畜らしい生き物は(ホーリー)ラマ位だろうか。
またカルドセプトのカードは、戦いに必要なもの以外があまりにも少ないのも特徴だ。
例えば特定のクリーチャーだったり、盾や武器の様な道具であったり、
地震や嵐の様な力の顕現だったり・・・。
スタチューやシャラザードやブラストホーン、バード、
リビングミラーなど、本来は戦いと関係の無さそうなカードも勿論有るが、
大部分が剣や斧を持っていたり、何らかの形で戦いを
意識したものが多い様に思われる。
例えば生物、クリーチャーで有れば植物は極端に少ないし、
道具、すなわちアイテムであれば食器や子供の遊びに
用いる様なものなど、およそ戦いに使えそうも無い物はあまり無い。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いずれにしても。それらは世界の全てと言うにはあまりにも限定的で、
とてもその世界の全てを表している様には思えないのだ。
では、カルドセプトの断片で有るカードとは一体何なのか。
カードはどの様にして世界の全てを顕しているのだろうか。
もし、仮にカルドセプトのカードがタロットカードの様に、
それ自体が何かを象徴しているものだとしたら。
例えば、チャリオットがタロットカードの様に戦争や
戦いの象徴でも有るとしたら。
また例えば、一枚のカードがそのカードの絵柄そのものの物体だけでなく、
それに類するもの全ての象徴であったとしたらどうだろう。
テンペストが嵐だけでなく、災害そのものの象徴だとしたら。
ウッドフォークというカードがウッドフォークだけでなく、
木そのものの象徴だったとしたら。
そして、更には喜びや怒りなどといった特定の感情などをも
表しているとしたら。
一枚ごとに多くの意味合いや感情が込められたカード群は、
数百枚もあれば容易に、そして意思を持っているかのごとく
自然と世界を作り出すのではないだろうか。
また、覇者が逆にカードの幾つかの組み合わせで、
世界に有る別のものを作り出すのだとすればどうだろう。
例えば、トラップスパイダーと海洋生物のクリーチャーを組み合わせて
カニを作りだしたりとか。
カードの組み合わせが世界を創り出す、と。
何となく、筆者としてはこういう発想はセプターが覇者になるという設定や、
ゲームとしてのカルドセプトから考えると「らしさ」が有って良い気がする。
ある種のコンセプトブックはその人独自の世界が表現されている様にも
感じる事が出来るが、それもまた世界の創造に準じるものではないだろうか。
もしかすると、単にカルドセプトという書物の一つのページが
一枚のカードに具現化されているだけなのかも知れない。
本来は様々な事柄が表裏に記述されたものが、
世界中に散らばる事で一枚になるという訳だ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
結局、真相の所はどうかは解らないが、カルドセプトという存在には、
そしてそのカードの一枚一枚には世界を創造出来るだけの力や
非常に多くの意味が込められているのではないだろうか。
次回は未定です。前回から今回まではしばらく間が空いたけど、
次は早めに更新する方向で。
怪異なる黒いセプター(1)
※セカンドの激しいネタバレを含みます
セカンドのストーリーをクリア前の方は読まないほうが吉
サーガの評価すべき点をちょっとさておいて、またも世界観の話を。
前の記事のコメント欄で悪意の有る覇者の話が出たのですが、
私には悪意の有る覇者というのは厳密には存在しないのでは無いかと思います。
その根拠と他の疑問を含めて、悪意の有る覇者の実例?である
ジェミナイについての考察をしてみようかと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カルドセプトセカンドでは、未来に現れると予言された、
ジェミナイと言う悪意を持った覇者がカルドラ宇宙を消滅させようと目論んだ。
だが最終的には未来は変わり、ジェミナイは彼が存在するはずの
未来と共に消えてしまった。
しかし、仮にカルドセプトを手にしたとしても、
たった一人の覇者でしかないジェミナイが、他の覇者が神として存在している
無数の世界を全て滅ぼす事など出来るのだろうか。
これを無理なく説明出来るような一つの仮説が有る。
過去に筆者は、カルドラ宇宙を、カルドセプトを受け渡しながらの
バトンリレーの様なものなのではないかという風な発想で考えていた。
http://cepter.blog116.fc2.com/blog-entry-14.html
その考え方に立つと、カルドセプトを誰かが完全な形で手にしているのは、
覇者が世界を創造する間だけであり・・・。
そして、仮にカルドセプトを手にしている間だけ覇者が
カルドラさえ抗えない全能の力を手にする事が出来るのだとすると。
その間に宇宙に何か良くない事をしようと思えば、
それも出来てしまうのでは無いだろうか。
つまり、ジェミナイは単に他の覇者に無い悪意を行動にうつしただけで、
彼だけが特別な力を持っていた訳では無いとも考えられる。
ともあれ、ジェミナイの様な稀有な例もゴリガンが主人公の下にやってきて
運命が変わった事により、そもそも存在しない事になってしまった。
セカンドの顛末は、エンディングで、「もしかすると今回の事は
カルドセプトがセプターに与えた試練だったのかも知れない」
といったニュアンスの事が語られていたが、
それが真実なら、ジェミナイの存在自体が予定調和であり、
そもそも消える前提で存在している幻の様なものでしか無いと考えられる。
そう考えると、ひょっとすると実際には悪意のあるセプターは
覇者になる事は出来ない、もしくは運命やカルドセプトそのものが
そうしたセプターの存在を許さないとも考えられないだろうか。
個人的には、やはり覇者たるセプターにはその能力に伴って
人並み外れた情緒や愛情が有るのではないかと思う。
そうした感情を持てるセプターは、物事に深く心を巡らす事で、
悪意を持つ様な隙を持ち得ないのではないだろうか。
・・・ジェミナイの事についてはまた今度書くとして、
次はサーガの評価すべき点について触れていきます。
セカンドのストーリーをクリア前の方は読まないほうが吉
サーガの評価すべき点をちょっとさておいて、またも世界観の話を。
前の記事のコメント欄で悪意の有る覇者の話が出たのですが、
私には悪意の有る覇者というのは厳密には存在しないのでは無いかと思います。
その根拠と他の疑問を含めて、悪意の有る覇者の実例?である
ジェミナイについての考察をしてみようかと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カルドセプトセカンドでは、未来に現れると予言された、
ジェミナイと言う悪意を持った覇者がカルドラ宇宙を消滅させようと目論んだ。
だが最終的には未来は変わり、ジェミナイは彼が存在するはずの
未来と共に消えてしまった。
しかし、仮にカルドセプトを手にしたとしても、
たった一人の覇者でしかないジェミナイが、他の覇者が神として存在している
無数の世界を全て滅ぼす事など出来るのだろうか。
これを無理なく説明出来るような一つの仮説が有る。
過去に筆者は、カルドラ宇宙を、カルドセプトを受け渡しながらの
バトンリレーの様なものなのではないかという風な発想で考えていた。
http://cepter.blog116.fc2.com/blog-entry-14.html
その考え方に立つと、カルドセプトを誰かが完全な形で手にしているのは、
覇者が世界を創造する間だけであり・・・。
そして、仮にカルドセプトを手にしている間だけ覇者が
カルドラさえ抗えない全能の力を手にする事が出来るのだとすると。
その間に宇宙に何か良くない事をしようと思えば、
それも出来てしまうのでは無いだろうか。
つまり、ジェミナイは単に他の覇者に無い悪意を行動にうつしただけで、
彼だけが特別な力を持っていた訳では無いとも考えられる。
ともあれ、ジェミナイの様な稀有な例もゴリガンが主人公の下にやってきて
運命が変わった事により、そもそも存在しない事になってしまった。
セカンドの顛末は、エンディングで、「もしかすると今回の事は
カルドセプトがセプターに与えた試練だったのかも知れない」
といったニュアンスの事が語られていたが、
それが真実なら、ジェミナイの存在自体が予定調和であり、
そもそも消える前提で存在している幻の様なものでしか無いと考えられる。
そう考えると、ひょっとすると実際には悪意のあるセプターは
覇者になる事は出来ない、もしくは運命やカルドセプトそのものが
そうしたセプターの存在を許さないとも考えられないだろうか。
個人的には、やはり覇者たるセプターにはその能力に伴って
人並み外れた情緒や愛情が有るのではないかと思う。
そうした感情を持てるセプターは、物事に深く心を巡らす事で、
悪意を持つ様な隙を持ち得ないのではないだろうか。
・・・ジェミナイの事についてはまた今度書くとして、
次はサーガの評価すべき点について触れていきます。
人工カードの謎
フレーバーテキストの話題が前フリだったという訳では無いですが、
今回も世界観の話題をフレーバーテキストから。
カルドセプトの世界では、カードは神となった覇者が創り出すものだ。
カードは一つに集まるとカルドセプトとなり、
世界を作り出すと再びカードの形になって世界に散らばる。
この時、覇者はカルドセプトに記述を加える事で
新たなカードを作り出す事が出来るらしい事は前の記事で述べた。
元から存在していたカードも過去の覇者が作ったものであって、
決して人や、神以外の何者かの手で創られたものでは無い。
しかし、ポリモーフのフレーバーテキストには、
「変身。錬金術師たちのゆがんだ実験から創り出された人工カード。
効果は不安定で結果が予測出来ない。」と書いてある。
人工カード。この人工という所が筆者には引っかかる。
たかだか、などと言っては失礼かも知れないが、錬金術などで創造神の御業、
世界を形作る偉大なカードの一つを創る事など出来るのだろうか。
一応、錬金術で作られた存在でカードと言えば、
1のクリーチャーカードであるサーベルクローが有る。
1の画廊では、錬金術師によって作られた生物であるサーベルクローが
錬金術師の研究室から逃げ出すシーンが描かれている。
他にもホムンクルスなど、カルドセプトには錬金術が
由来となっているカードは少なくない。
だが、それらの場合はカードそのものは人工ではない。
カルドセプトは未来の出来事をも予見しているという設定から、
スチームギアの様な機械や、錬金術で作り出されたものも
カルドセプトに書かれた記述の一つとして書かれており、
それがカードとして散らばるだけで、サーベルクローやスチームギアのカードを
人間が創っている訳では無いのだ。
どうやら、人の手によってカードそのものが創られた例は
ポリモーフだけらしい。
では仮に、覇者以外の何者かがカードを創れたとしたらどうなるのか。
カルドセプトの中に勝手にそのカードが組み込まれるのだろうか。
ポリモーフもその様にして加わったものなのか?
筆者にはそうとは思いがたい。
ポリモーフはカードとして創られたのではなく、
カルドセプトに自然と加わった、表記として独りでに書き込まれた、
異例中の異例なのではないだろうか。
ポリモーフは、その世界の法則からしたら明らかにおかしく、
本来なら存在しない様な不安定な魔術を錬金術師達が作ってしまった為に、
「世界に辻褄を合わせる」形で、その世界の法則そのものである
カルドセプトに新たな表記として加わったのではないだろうか。
厳密には人工ではない、みたいな。ちょっと苦しいかな。
何より、人工のカードが後に加わる事そのものでさえ
カルドセプトには最初から記述されているはずだ。
あれ、もしかするとそれなのかな?
タイムトラベルものなんかだと良くある因果の輪、
卵が先かにわとりが先か、って話みたいな。
ともあれ、創造の力を司るカルドセプトが、
人の力でどうにかなってしまう程度の存在だとは思えないし、
筆者はそういう風に考えたくはない。
いずれにせよ錬金術であれ、科学であれ、万能という訳ではない。
それらが及ばぬ神秘の余地も有っても良い様に思う。特に物語の中では。
やはり、「カルドセプト」の世界ではカルドセプトこそ最大の神秘なのだから、
その神秘性は絶対であって欲しい、などと筆者は思うのだ。
・・・次回は評価すべき点の続きです。
今回も世界観の話題をフレーバーテキストから。
カルドセプトの世界では、カードは神となった覇者が創り出すものだ。
カードは一つに集まるとカルドセプトとなり、
世界を作り出すと再びカードの形になって世界に散らばる。
この時、覇者はカルドセプトに記述を加える事で
新たなカードを作り出す事が出来るらしい事は前の記事で述べた。
元から存在していたカードも過去の覇者が作ったものであって、
決して人や、神以外の何者かの手で創られたものでは無い。
しかし、ポリモーフのフレーバーテキストには、
「変身。錬金術師たちのゆがんだ実験から創り出された人工カード。
効果は不安定で結果が予測出来ない。」と書いてある。
人工カード。この人工という所が筆者には引っかかる。
たかだか、などと言っては失礼かも知れないが、錬金術などで創造神の御業、
世界を形作る偉大なカードの一つを創る事など出来るのだろうか。
一応、錬金術で作られた存在でカードと言えば、
1のクリーチャーカードであるサーベルクローが有る。
1の画廊では、錬金術師によって作られた生物であるサーベルクローが
錬金術師の研究室から逃げ出すシーンが描かれている。
他にもホムンクルスなど、カルドセプトには錬金術が
由来となっているカードは少なくない。
だが、それらの場合はカードそのものは人工ではない。
カルドセプトは未来の出来事をも予見しているという設定から、
スチームギアの様な機械や、錬金術で作り出されたものも
カルドセプトに書かれた記述の一つとして書かれており、
それがカードとして散らばるだけで、サーベルクローやスチームギアのカードを
人間が創っている訳では無いのだ。
どうやら、人の手によってカードそのものが創られた例は
ポリモーフだけらしい。
では仮に、覇者以外の何者かがカードを創れたとしたらどうなるのか。
カルドセプトの中に勝手にそのカードが組み込まれるのだろうか。
ポリモーフもその様にして加わったものなのか?
筆者にはそうとは思いがたい。
ポリモーフはカードとして創られたのではなく、
カルドセプトに自然と加わった、表記として独りでに書き込まれた、
異例中の異例なのではないだろうか。
ポリモーフは、その世界の法則からしたら明らかにおかしく、
本来なら存在しない様な不安定な魔術を錬金術師達が作ってしまった為に、
「世界に辻褄を合わせる」形で、その世界の法則そのものである
カルドセプトに新たな表記として加わったのではないだろうか。
厳密には人工ではない、みたいな。ちょっと苦しいかな。
何より、人工のカードが後に加わる事そのものでさえ
カルドセプトには最初から記述されているはずだ。
あれ、もしかするとそれなのかな?
タイムトラベルものなんかだと良くある因果の輪、
卵が先かにわとりが先か、って話みたいな。
ともあれ、創造の力を司るカルドセプトが、
人の力でどうにかなってしまう程度の存在だとは思えないし、
筆者はそういう風に考えたくはない。
いずれにせよ錬金術であれ、科学であれ、万能という訳ではない。
それらが及ばぬ神秘の余地も有っても良い様に思う。特に物語の中では。
やはり、「カルドセプト」の世界ではカルドセプトこそ最大の神秘なのだから、
その神秘性は絶対であって欲しい、などと筆者は思うのだ。
・・・次回は評価すべき点の続きです。
フレーバーテキストを楽しむ
バランスの話、評価すべき点など色々と書く事はあるものの、
その辺りは置いといて今回は世界観のお話。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カードゲームには、効果や数値以外に設定や、そのカードのゆえん、
キャラクターの台詞、ストーリーの類が書いてある短い文章がある。
この文章の事を一般的にフレーバーテキストと言う。
カルドセプトのフレーバーテキストにも、
良く見てみるとなかなかセンスの高い事や興味深い話、
はたまたちょっと笑える設定が書いてあったりする。
例えば、セカンドのカードテキストには、ソルティス神が
敵セプターのスペル攻撃に苦しめられた為に
新たに作り出したという設定のカードもあった。
たしかアンチマジックだったかな。それともルインだったっけ。
えーと、サプレッションかも知れない。まぁ大体そんな感じの
スペルに対する攻撃スペルです。嗚呼、うる覚え。
ともあれ、神となったものはカルドセプトに新たな記述を加えて、
新たなカードを作る事も出来る事が公式の設定らしいというのが
このテキストから解る。
また、シリーズ全作に共通だが、ホーリーワードのテキストは
0からX(現在は8)まで、毎回連続した内容になっている。
せっかくなので、今この場では本体を起動して確認出来ない立場の人の為に
そのテキストを書き出してみよう。聖なる言葉の後の数字が
そのまま各ホーリーワードに対応している。
ぜひ「聖なる言葉○」という部分を脳内から省き、
続けて読んで見て欲しい。
聖なる言葉0。この世界には、神にも抗えない力が存在する・・・
聖なる言葉1。それはカルドラがこの世界を創造する前から存在していた・・・
聖なる言葉2。・・・その力とは「不確定」、極小の世界では全ての事象は予測不能・・・
聖なる言葉3。究極的には運命を予知する事は不可能であった・・・
聖なる言葉6。・・・しかしカルドセプトはその創り手であるカルドラをも超え・・・
聖なる言葉8。・・・ついには、宇宙の原則「不確定」をも曲げることを可能にした。
カルドセプトは、もしかするとカルドラの力をも超えた存在なのではないか、
という事が1のエンディングで語られているが、
これを見るとそれは仮定でなく、どうやら事実らしい事が解る。
こういった、世界観の広がりが感じられる様なテキストの類も沢山有るが、
見るとちょっと笑ってしまう様なセンスのテキストも幾つか有る。
例えば、1のクリーチャーでリトルグレイ。
「天空に逃げのびた妖精族の子孫で、人をさらったり
畑にいたずら書きをする性質を今だに持っている。」
よ、妖精族・・・。宇宙人って書かないのはアレですか、
ファンタジーの世界観を一応崩さない様に・・・??
サーガでも、スパッドフォークのテキストに
「自分を紳士だと思い込んでいる」と書いてあったり、
ちょっと読んだだけでもニヤリとさせられるテキストもある。
そういえば個人的に気になるのは、ドラゴンロードやアームドプリンセス、
ギアリオンなど、ストックとして所持出来ないEカードに
用意されているフレーバーテキストだ。
1やセカンドでもアンドロギアやカーバンフライ、グーバなど、
通常では確認出来ないカード群が何枚か有る。
筆者はあまり攻略本の類は買わないので良く解らないが、
これらのフレーバーテキストは攻略本などで公開されているのだろうか。
もしもまだ公開されていない様なら、何らかの形で確認してみたいものである。
ともあれ、NEWカードを入手したら効果を確認するだけでなく、
フレーバーテキストを一度は読んでみる事をオススメする。
今まで性能や効果以外をあまり気にしていなかった人も、
テキストを読む事で、それまでは想像もしていなかった様な
カルドセプトの世界観の広がりを実感出来る事だろう。
その辺りは置いといて今回は世界観のお話。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
カードゲームには、効果や数値以外に設定や、そのカードのゆえん、
キャラクターの台詞、ストーリーの類が書いてある短い文章がある。
この文章の事を一般的にフレーバーテキストと言う。
カルドセプトのフレーバーテキストにも、
良く見てみるとなかなかセンスの高い事や興味深い話、
はたまたちょっと笑える設定が書いてあったりする。
例えば、セカンドのカードテキストには、ソルティス神が
敵セプターのスペル攻撃に苦しめられた為に
新たに作り出したという設定のカードもあった。
たしかアンチマジックだったかな。それともルインだったっけ。
えーと、サプレッションかも知れない。まぁ大体そんな感じの
スペルに対する攻撃スペルです。嗚呼、うる覚え。
ともあれ、神となったものはカルドセプトに新たな記述を加えて、
新たなカードを作る事も出来る事が公式の設定らしいというのが
このテキストから解る。
また、シリーズ全作に共通だが、ホーリーワードのテキストは
0からX(現在は8)まで、毎回連続した内容になっている。
せっかくなので、今この場では本体を起動して確認出来ない立場の人の為に
そのテキストを書き出してみよう。聖なる言葉の後の数字が
そのまま各ホーリーワードに対応している。
ぜひ「聖なる言葉○」という部分を脳内から省き、
続けて読んで見て欲しい。
聖なる言葉0。この世界には、神にも抗えない力が存在する・・・
聖なる言葉1。それはカルドラがこの世界を創造する前から存在していた・・・
聖なる言葉2。・・・その力とは「不確定」、極小の世界では全ての事象は予測不能・・・
聖なる言葉3。究極的には運命を予知する事は不可能であった・・・
聖なる言葉6。・・・しかしカルドセプトはその創り手であるカルドラをも超え・・・
聖なる言葉8。・・・ついには、宇宙の原則「不確定」をも曲げることを可能にした。
カルドセプトは、もしかするとカルドラの力をも超えた存在なのではないか、
という事が1のエンディングで語られているが、
これを見るとそれは仮定でなく、どうやら事実らしい事が解る。
こういった、世界観の広がりが感じられる様なテキストの類も沢山有るが、
見るとちょっと笑ってしまう様なセンスのテキストも幾つか有る。
例えば、1のクリーチャーでリトルグレイ。
「天空に逃げのびた妖精族の子孫で、人をさらったり
畑にいたずら書きをする性質を今だに持っている。」
よ、妖精族・・・。宇宙人って書かないのはアレですか、
ファンタジーの世界観を一応崩さない様に・・・??
サーガでも、スパッドフォークのテキストに
「自分を紳士だと思い込んでいる」と書いてあったり、
ちょっと読んだだけでもニヤリとさせられるテキストもある。
そういえば個人的に気になるのは、ドラゴンロードやアームドプリンセス、
ギアリオンなど、ストックとして所持出来ないEカードに
用意されているフレーバーテキストだ。
1やセカンドでもアンドロギアやカーバンフライ、グーバなど、
通常では確認出来ないカード群が何枚か有る。
筆者はあまり攻略本の類は買わないので良く解らないが、
これらのフレーバーテキストは攻略本などで公開されているのだろうか。
もしもまだ公開されていない様なら、何らかの形で確認してみたいものである。
ともあれ、NEWカードを入手したら効果を確認するだけでなく、
フレーバーテキストを一度は読んでみる事をオススメする。
今まで性能や効果以外をあまり気にしていなかった人も、
テキストを読む事で、それまでは想像もしていなかった様な
カルドセプトの世界観の広がりを実感出来る事だろう。
「死の描写」の違い
※1、セカンドの若干のネタバレを含みます
・人の「死」の無い1と2、「死」を描くサーガ
カルドセプトはセカンドまでは作中では人が死なない物語だった。
例えば1のストーリーモードでは、登場時は不気味で恐ろしい様に見える人物も
対戦後は結構打ち解けて仲良くなっていたりする。
これはもしかすると、実際の対人戦もその様なもので有って欲しいという
製作者の意向なのかも知れない。
ちなみに完全に肉体が滅んでしまったバルテアスは、
人でなく神で、あくまで人外の存在なので問題無いということで。
・・・だ、ダメっすか?(w
セカンドでも、バルベリトが気が触れた?様な描写が有ったのと、
ゲモリーがバルベリトに消滅させられた様にも見える表現はあったものの、
作中ではっきりと人が死んだと確認出来る様な場面は無い。
これらは単に死が描かれないという意味ではなく、
セプター同士の戦いでは命までは奪う事がない、
もしくは命を落とすまでには至らないという事ではないだろうか。
ここにはやはり、対戦は真剣で熱いものであっても
楽しい物で有って欲しいという製作者の意図が有る様に思える。
対して「カルドセプトサーガ」にはこれまでのシリーズ作と違って、
良くも悪くも人が死ぬ描写が幾つか有る。
中でも、セプター同士の戦いで命を落とす表現が
度々出てくるのが前二作とは対照的だ。
確かに物語としての面白さに死の表現は特定のエッセンスを加えるものだし、
シナリオ重視ならそれも良い様に思える。
だが、カルドセプトというゲームが多人数での
対人戦を前提として作られている物である事を考えると、
前二作の様に「カードを使った戦いでは人が死なない」
という不文律もまた正しい様に思える。
特にどちらが良いとか悪いとかそういう事では無いだろうれど、
ストーリーをゲームの製作側が作る場合と、シナリオライター側が作る違いが
明確に現れている例だと考えるとなかなか面白いかも知れない。
・・・次回はどうなるか内容は未定です。
そろそろカードバランスの話に踏み込む事になるのでしょうか。
・人の「死」の無い1と2、「死」を描くサーガ
カルドセプトはセカンドまでは作中では人が死なない物語だった。
例えば1のストーリーモードでは、登場時は不気味で恐ろしい様に見える人物も
対戦後は結構打ち解けて仲良くなっていたりする。
これはもしかすると、実際の対人戦もその様なもので有って欲しいという
製作者の意向なのかも知れない。
ちなみに完全に肉体が滅んでしまったバルテアスは、
人でなく神で、あくまで人外の存在なので問題無いということで。
・・・だ、ダメっすか?(w
セカンドでも、バルベリトが気が触れた?様な描写が有ったのと、
ゲモリーがバルベリトに消滅させられた様にも見える表現はあったものの、
作中ではっきりと人が死んだと確認出来る様な場面は無い。
これらは単に死が描かれないという意味ではなく、
セプター同士の戦いでは命までは奪う事がない、
もしくは命を落とすまでには至らないという事ではないだろうか。
ここにはやはり、対戦は真剣で熱いものであっても
楽しい物で有って欲しいという製作者の意図が有る様に思える。
対して「カルドセプトサーガ」にはこれまでのシリーズ作と違って、
良くも悪くも人が死ぬ描写が幾つか有る。
中でも、セプター同士の戦いで命を落とす表現が
度々出てくるのが前二作とは対照的だ。
確かに物語としての面白さに死の表現は特定のエッセンスを加えるものだし、
シナリオ重視ならそれも良い様に思える。
だが、カルドセプトというゲームが多人数での
対人戦を前提として作られている物である事を考えると、
前二作の様に「カードを使った戦いでは人が死なない」
という不文律もまた正しい様に思える。
特にどちらが良いとか悪いとかそういう事では無いだろうれど、
ストーリーをゲームの製作側が作る場合と、シナリオライター側が作る違いが
明確に現れている例だと考えるとなかなか面白いかも知れない。
・・・次回はどうなるか内容は未定です。
そろそろカードバランスの話に踏み込む事になるのでしょうか。





